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Bohemian DeDe
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Bohemianの始まり15
社会主義国家とはどんな所なのか、
それらの国で人々は本当はどんな思いで暮らしているのだろうか?

それを知りたくて東ベルリンから、東ドイツ国内を旅し、チェコスロバキアにも行った。



いまだ第二次大戦の爪あとが街のあちこちに残るドレスデン



プラハ カレル橋




だが、西の外国人とそんな話をする命知らずの国民は滅多にいない。

たまに話しかけて、応じてくれる人もいたが、政治の話はご法度である。


ただ、キョウーレツにこの時思ったことは、こんな社会、そんなに長くは
続かないであろう、ということと、その終わり方が願わくば、流血を
見ないものであって欲しい、この負の感情が解放された時には
いかほどのものになるであろうか、という大きな恐怖であった。

その危惧は1989年ルーマニアで現実のものとなるのだが。


気がつくと、ほんの3週間の予定でいたDeDeのwienへの旅は
3ヶ月に及んでいた。

その間にヨーロッパは夏から冬の支度を始めるまでに変わっていた。

そして、この間にDeDeもすっかり変わっていた。
引きこもりで、人生に自分の存在意味を見出せないでいた気の弱い
女の子が、積極的に世界を出来る限り見てから死のうと思ったのである。

新しい人格の誕生であった。

以後、DeDeの人生はこの風向きに逆らって進むことは不可能になった。

帰国して、就職なんか出来なかったのは言うまでもない!!!

Bohemian DeDe
Bohemian DeDe
| 世界心の旅 Bohemian編 | 00:21 | trackbacks(0) | pookmark |
Bohemianの始まり 14
東ベルリンとはなんとも人工的な街だ。
北朝鮮のピョンヤンに行ったことはないが、きっと同じにおいのすることだろう。

西ベルリンと違って壁沿いを歩いてみたかったが、壁際を歩くことは許されず、
壁からかなりの距離の手前から写真を撮るしか出来なかった。

壁際の家々は無人である。 皆強制的に移住させられたそうである。

そんな荒野の風を呈した壁際とは打って変わって、
その日は天気のよい日曜日であったので、街の中心地あたりでは
家族連れが日光浴をしたり、散歩をしている姿が見られる。



自由ドイツ青年団のワッペンをつけた青いシャツを着た子供達が
たくさん歩いている。
いたるところで集会があるのだろう。


無名戦士の墓 を訪ねると、ナチスに抗した共産主義の英雄が
称えられるパネルがたくさん展示されていた。



無名戦士の廟の前で衛兵交代の儀式 ニッカーボッカーとブーツが怖い

この後、数年後カナダに住むことになって、ベトナムからの移民が
「共産主義の国は全てがショウアップだ!街に真実は
一つもない」とよく言っていたが、
プロパガンダだまし絵が、そこここに描かれている。




中央にいて労働者と握手しているのは言わずと知れたホーネッカー議長

街でハンカチを落とした女性にDeDeが拾って追いかけて行って
渡そうとすると、ひったくるように受け取りさっさと去っていった。

外国人と接触を持つことはスパイと見なされる社会だ。
どこに警察の目が見張っているか分からない。

なんだか悲しい気持ちになる。

皆、壁の方には目を向けないように必死に努力して、
いや、壁の存在自体を頭から消して、
何も無かった様に目の前の小さな幸せを生きている。

さっきまで無名戦士の廟を守っていた兵士が非番になったので
あろう、彼を待っていた女性の所に歩み寄り、Kissをして
抱擁をかわしている。

アノ、恐ろしい兵士が、コノ、  若い男の子と同一人物
なのがどうしても理解できないDeDeであった。


Bohemian DeDe
Bohemian DeDe
| 世界心の旅 Bohemian編 | 00:13 | trackbacks(0) | pookmark |
Bohemianの始まり 13
”洋の東西を問わず”、という言葉があるが、
ドイツでは東か西かは否が応でもはっきりさせなければならない。


いよいよ今回の旅でDeDeにとってのハイライトが近づいてきた。
(もっとも後になってそう変わったのであったが)


列車は東ドイツに差し掛かったきた。



無人地帯に鉄条網が見える。
列車は止まり、東ドイツの国境警備隊が乗り込んでくる。

当然だがこの列車の乗客はみな西ドイツ人で西ベルリンへ向かっている。

西ドイツの人が東ドイツを訪れるのには、いろいろな書類申請が
複雑で、かつ相当な額の西ドイツマルクを東ドイツマルクに交換
せねばならず、たとえ親類が東ドイツにいても、誰も彼も簡単には
訪問できないらしい。


パスポートをチェックしにコンパートメントに入ってきた、ライフルを
携えた東ドイツ軍人を見て、DeDeでなくとも皆緊張している。

違法越境者がいないか、列車の外では犬を連れた軍人が
見張っているのがなんとも恐ろしい。

30分くらい止まっていたであろうか。

列車から東ドイツの国境警備隊がいなくなると、一気に安堵の空気が
流れ、乗客たちは口々に、オーイヤだ〜、と首をすくめる。

同じドイツ人同士なのに東西の分断はこうして着々と進んでいるので
あろうか!

西ベルリンとは、こうした緊張した空気に囲まれての陸の孤島と
なっていることに改めて実感させられる。

列車は西ベルリンに入ってきた。
今度は西ドイツ側の形ばかりのパスポートチェックが行われる。

ひとたび西ベルリンの街に足を踏み入れると、あまりの敗退的な
雰囲気に驚かされた。
今まで訪れたどの西ドイツの街とも全く違った、なんとも言えない、
”やるせない空気”のようなものを感じる。

その後、ソビエトにも、ポーランドにも、ユーゴスラビア、ベトナム、
中国にも行ったが、この旅で体験したほどの社会主義国の緊張感は
他の国のどこにもなかった。



西ベルリン側から見た壁 見えている建物は東側で無人である



 ドイツ帝国の繁栄の象徴であったブランデンブルク門

    この当時は東西ドイツの分断の象徴となっていて誰も通れない

      そして、今年は世界陸上でこの門をくぐってマラソンが行われる

DeDeはここで、東ベルリン行きのVisaを取る。
強制的に20マルク西ドイツマルクから東ドイツマルクに交換させられる。

途中下車のない地下鉄に乗って、穴から這い上がるとそこは東ベルリン
であった。






 東ベルリン側から見た壁  壁の上には鉄条網が張られている



   別のサイドから見た壁際    壁との間には地雷が埋められている
   鉄条網、立ち入り禁止区域、地雷、鉄条網、壁 と念の入り様だ
   
   
                           
Bohemian DeDe
Bohemian DeDe
| 世界心の旅 Bohemian編 | 00:38 | trackbacks(0) | pookmark |
Bohemianの始まり 12



カリーンの家は6Bed roomで
(4人兄弟にご両親と、お母さんのお母さんも一緒に住んでいた)
写真のような広い庭付き。

リビングルームの広さは30畳くらいはあるだろう。
これでハノーバーの駅から車で10分くらいの所に位置する。

もちろん彼らの家だ。

それで、お父さんは家から車で15分位のところで働いていて、
遅くとも、6時半には家に帰っている。
くどいが、お母さんは専業主婦である。

ベンツの熟練工だからきっとお給料はいいに違いないが、
それにしても、金曜日には3時過ぎに帰ってきて、こんな暮らしが成り立つ
なんてDeDeにはどうしても合点がいかなかった。

一体この国はどうなっているんだろう????


カリーンの一家はみんないい人達だった。

DeDeのことを彼らの暮らしと同じレベルの日常でもてなしてくれた。

カリーンのちょっと広めのベッドを一緒に分け合って寝た。

聞きたかった質問には全部答えてくれた。

見たかった所には全部連れて行ってくれた。

カリーンの大学(ハノーバー大学)の数学の授業まで一緒に
くっ付いて行って体験してきた。


だが、いよいよおいとまする時が来たようである。

別れの朝、

これからベルリンへ行き、そこから東ドイツに行くつもりだと告げると、
お母さんはDeDeの気に入っていたユッケサンド(新鮮な生のひき肉に
卵を混ぜてサンドイッチにする)を作ってもたせてくれた。

おばあちゃんは何も出来ないからと50マルクもくれた。
東ドイツには気をつけて行けと言ってくれた。
彼女も東西に分断された妹がいるそうである。


お父さんはハノーバーの駅まで見事なベンツで送ってくれた。
「あなたが滞在してくれたおかげで楽しいひと時を過ごせた」と
言ってくださる。

ああ、ハノーバーの駅にベルリン行きの列車が入ってきてしまった。



カリーンとはこれでお別れである。

列車はかなり込んでいて、カリーンは必死になってDeDeの為に
席は空いていないか、聞いて回ってくれている。



ベルが鳴り響いた。 列車はゆっくりと走り始める。

なんてことだ!

全くの未知の外国人を、それもいきなり押しかけて来たのに快く
受け入れてくれて、寝床はおろか、毎日3食ご馳走になり、
とっておきのビールまで振舞ってくれた。

毎晩楽しくお互いの国の習慣や、考え方など夜遅くまで語り合った。


異国の地で、なんの見返りも期待しない親切に触れて
DeDeは生まれて初めて嬉し涙を流した。

カリーンも泣いて手を振っている。

列車がホームを走りぬけるまで千切れるほどお互い手を振り続けた。


                                                       Bohemian DeDe

Bohemian DeDe
| 世界心の旅 Bohemian編 | 00:10 | trackbacks(0) | pookmark |
Bohemianの始まり11

 

カリーンの一家はお父さんがダイムラー・ベンツの熟練工。
お母さんは専業主婦。

カリーンの他に大学生のお兄さんと、高校に通う弟、15歳で銀行に
就職している妹がいる。
ドイツの典型的な中流家庭であろう。

外国の一家の暮らしをのぞき見るのはやはり楽しい。

妹アニタが15歳で就職しているのにDeDeが驚いていると、
ドイツでは若い人に職業訓練のような制度があるらしい。
そこで、一定の期間働いて、大学に進学する人も多いらしい。
カリーンもそういう道を通ってきたそうである。

弟は17歳なのだが、この年の春にネパールに一人旅をして
とても楽しかったと写真を見せてくれた。

お父さんがベンツのライン労働者だと聞いて、工場見学に
連れて行ってもらうことにした。

世界的高級車、ヨーロッパでは当時、TOYOTAがいっぱい走っていた
けれど、どの国もタクシーはベンツであった。

お父さんは大体10時から6時までのシフトの中で工場の
ある部分の(上車体だったか、あまりよく覚えていないのだが)
監督長もかねているそうである。  つまりベテラン工なのだ。

金曜日は3時で勤務は終わるらしい。
たしか、当時ドイツは世界に先がけて40時間労働から38時間労働
に移行したとか言って騒いでいた時期のような気がする。

ドイツ人は本当に質実剛健である。

かって、大戦の時に他のヨーロッパ諸国が一番恐れたのは
ドイツ人の燃費のよさだそうである。

朝はパンとコーヒーだけ。

お昼に温かいもの(それって大体はスープなのだが)

夜はまたパンとコールドミート、ハムとか、チーズだけ。




お昼時間にハノーバーの一番の繁華街をアニタの働いている
銀行を訪ねていったのだが、みんな道端のベンチなどに腰掛けて
持参の硬いドイツパンにハムをはさんだサンドイッチを黙々と
食べていた。

ランチの時間は短く、皆すぐに仕事に戻るらしい。


お父さんはお家に帰るなり毎日地下のビール貯蔵庫に直行する。
(でも冷蔵庫に入っているわけではなく、酵母の味わいを愉しむ為
に地下室の温度が一番いいんだよ、と言われてもDeDeには
どうもなじめなかったが)
そこで1本のビールを手にしてリビングに入り、”ただいま”の
Kissをする。

3時に仕事が終わる金曜日は家に帰ると家の色んな箇所を
直して、お母さんに言われるままに棚を作ったり、庭の柵のペンキを
塗り替えたりしていた。

日曜大工の出来ない男はドイツでは役立たずのレッテルを
貼られるそうである。

引き換え、奥様は?というとあまりお料理はしないようである。
夕餉の支度に時間がとられるのは意味がない。
それより簡単に済まして家族とのコミュニケーションに
時間をとるのがドイツ人なんだと言っていた。

カリーンの家だけの習慣ではないのかと疑い、夕飯時刻に
他所の家の覗き見も敢行したが、夕餉の匂いはどの家からも
してこず、窓から拝見した限りではたしかに、パンとコールドミート
だけの夕飯である。

週末は夏にはお庭でソーセージを焼いて食べたりはするらしい
が、合いの手はせいぜいザッハークラウト(酢漬けのキャベツ)
位のようである。

つまり、あの大きくて、フトッチョな体格はけっして食べ物から
来ているのではなく、民族の体格というものなのであろう。

大して食べなくてもきちんと戦争のできる人間達の集団!
それを他のヨーロッパの人々は恐れたのである。

このエンゲル係数の著しく低い国民をみながら、この国の
外食産業や、食品マーケットはどうやって成り立っているのだろうか
と不思議に思えてならなかった。

 

                                                               Bohemian DeDe

Bohemian DeDe
| 世界心の旅 Bohemian編 | 00:06 | trackbacks(0) | pookmark |
Bohemianの始まり 10
 
隠れていた才覚が突然花開くことは誰の身にも起こりうる。

それが日曜大工だったり、裏庭のきゅうりを育てることだったり、
人に訪れるものは様々だ。

DeDeの場合、それは”常識を覆してゆく体験的ほっつき歩き”の才覚
だったのである。
(注 Bohemianの定義はwikipediaを参照されたし)






カリーンと分かれた後、フランスからスイスへ、イタリアへ、
そして北上して再度ドイツに入り、デンマークに行き、
カリーンの故郷であるハノーバーへ

恐る恐る、カリーンが教えてくれた彼女の電話番号を回すと、
もう帰国していて大学も始まっているそうである。

どこの馬の骨とも分からないDeDeを親切に泊めて下さる事になった。

なんて、いい人たちなんだ!!!!!


                                  Bohemian DeDe

Bohemian DeDe
| 世界心の旅 Bohemian編 | 00:21 | trackbacks(0) | pookmark |
Bohemianの始まり 9
  
 ブリュッセルの次はどこに行くのかとカリーンに聞いたら、
 パリに行くという。

 「あら〜偶然! DeDeもパリに行く所だったの!」とデタラメを言って
 彼女にくっついて行くことにした。

 この時彼女がブラジルに行くといったら、ちょうどDeDeもブラジルに
 行く所だったと言っただろう。

 一人になるのが怖くてとにかく引っ付いて行くことにしたのだ。

 パリではエッフェル塔に登ったり、セーヌくだりをしたり、ルーブル美術館
 を見たりのおのぼりさんコース。

 その間にもカリーンに敗戦後のドイツの若者の精神の所在を尋ねたり、
 国旗や国歌に対する感情を聞いたり、ヨーロッパの中でのドイツの
 地位をどう思うか、など今思うといやな質問ばかりしていた。

 パリでの楽しい数日は瞬く間に過ぎ去り、カリーンはアトランティック
 コースをとってドイツに帰るという。
 
 DeDeもちょうど、そこに行く所だった・・・・とはさすがに言えず、
 いよいよカリーンともお別れの時が来た。

 マリア様の被昇天祭の日、今日と同じ8月15日。
 ドイツでの再会を約束して、 カリーンは南フランスへ、
 DeDeはノートルダム寺院へと別れて行った。






 カトリック教徒にとって、この日は祝日である。
 ノートルダム寺院ではミサが行われていた。

 司祭様が”神のご加護を”という合図で信者と観光客でごった返しの
 寺院の中では、人々は互いの隣人と握手をするのであった。

 無神論者のDeDeには、はじめはピンとこなかったのだが、
 宗教というのは、信仰というのもさることながら、
 社会的な生き物である人間の行動規範であるという側面を
 いやが上にも認めざるをえない・・・

 うまく言えないが、そんなことを初めて体感する瞬間だった。

 DeDe にも差し出された手に、どう反応してよいのか?
 一瞬たじろいでしまった。

 うわべだけの人類愛なんて・・・
 なんてひねくれ精神をここで発揮している場合ではないか。


 世界中で、とっても意味の深い8月15日をそんな思いで
 不謹慎に過ごしたのであった。

 都合がいいけど、  "God bless all of us "

Bohemian DeDe
| 世界心の旅 Bohemian編 | 01:13 | trackbacks(0) | pookmark |
Bohemianの始まり8
 放り出されたものは仕方ない。

泣いてすがってもダメだったので、仕方なく一人旅を続ける
ことになった。

今でも鮮明に覚えている。

アムステルダムからたった一人で電車に乗り、ベルギーのブリュッセルに
たどり着いた時の心細さを!



ひとまず、ブリュッセルのユースホステルをさがして落ち着くことにした。

要するに、一人旅の不安とは、当時お金のない学生だったので、
その日の宿にありつけるかどうか、ということがかなりの部分を占めるのである。

お金さへあれば、手当たり次第、ホテルになんとかもぐりこめることも
可能であるが、1日の予算はかなり限られているのである。

行き当たりばったりの旅は自由で楽しいが、不安と背中合わせである。

ブリュッセルのユースで知り合ったドイツ人のカリーンなどは女の子であるが、
寝袋と敷きマット持参で、もしもの為に用意していると言う。




「もしも」ってどんな時? と聞くと、やはり宿が見つけられなかった時、
だそうで、彼女にとっての宿とはユースホステルか、YMCAかそれに順ずる
安宿のことである。

いやはや逞しい限りである。

当時のDeDeには道端で寝るなんて勇気はとてもなかった。

そんなタフで質素な旅をする同胞達のたくましい姿を見て
DeDeもだんだんと面の皮も、精神も鍛えられていくのであった。

旅を通して世界中の色々な国籍の学生と知り合った。
夜はビールを飲みながら、色んなことを語り合った。

歴史や地理の講義での教科書の中だけの事柄が、今目の前の、事実として
知識に血肉が着いてゆくのを肌で感じた。

もう、たまらない知的興奮。

体験というのは決して人に画一的には訪れない。

もしくは、人は体験を他人と同じようには受け取らない。

DeDeにとって、

この時から、これからの人生は生ある限り自分の知識を体験に
変える道を歩もうと、どんな手を使ってでも、そう生きてゆこうと、
心に決めたのであった。

ただし、それが後年かなり行き過ぎた考えに及ぶのであるが、
この時はまだ、はじまりの駆け出しであった。

               
                               Bohemian DeDe

Bohemian DeDe
| 世界心の旅 Bohemian編 | 10:26 | trackbacks(0) | pookmark |
Bohemianの始まり 7
 


さんざん遠回りをしたが、やっとギリシャから音楽の都Wienへ

ギリシャに比べると、かってのハプスブルク家の都は貴族的で
よく言うと優雅、 悪く言うとよそ行きのツンとすました街である。

でもこの街にはDeDeのお目当てがあるのだ!

それはグスタフ・クリムトの絵画

ヨーロッパのどの国も学生は美術館はタダか半額で入れる。
この素晴らしい特権を利用しない手はない。

クリムトをはじめとして美術館めぐりをして(おまけに全部タダで)
もう〜ご満悦であった。

こうして、ウィーンからザルツブルグをまわり、ドイツへ、
ドイツからオランダへ。



人生におけるピンチは最大のチャンスであるというのは
本当である。

そして、何がその後の人生を変えることになるか、凡人には
分かるはずもない。 

だから、カードが目の前で切られたら、やることは一つ。

取るのだ!!!

ここまで来たら、友人は疲れたから自分はWienのアパートへ
帰ると言い出した。
DeDeを放り出して、である。

エ〜 一人にしないで〜
もう、心境は泣き出しそうである。

当時のDeDeはただの引きこもり学生であった。

金なし、口なし、度胸なし

DeDeも一緒に帰るといったら、しばらく一人になりたいから
あなたは旅を続けていなさい、と冷たいことをおっしゃる。

この瞬間に今のBohemian DeDeは誕生したのである。




                      Bohemian DeDe

Bohemian DeDe
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Bohemianの始まり 6



 
 当時ギリシャは政治的に揺れていた。(今だって揺れてはいるが)

 長く軍事独裁政権が続き、キプロス問題で墓穴をほり崩壊へ、
 が、しかし傀儡政権があとをつなぎ、
 それも民主的な選挙で破れて近代ギリシャで初めて平和的に
 安定した政権交代が行われ、社会主義政党が政権を
  握ったばかりであった。

 信心深いギリシャ人に社会主義政党とはあまりピンとこないが、
 長かった圧政に苦しんでいた後だけに、人々が集まると
 これからのギリシャ!の話でもちきりで、新しい政権になった時の興奮、

 たとえば、ミッテランがフランスの大統領になった時、
 
 たとえば、オバマがアメリカの大統領になった時、

 のような興奮で満ちていた。

 Hilistosも顔を高潮させながら説明してくれる。

 その彼は、このバカンスが終わったら、徴兵制により2年間の
 軍務に服すという。
 なるほど、だから恋人とのしばしの別れをこのマルマラスで惜しんで
 いるわけか。
 おかげでDeDeまでご相伴にあづかることができたわけだが。

 それにしても20歳のこれから、という時期に2年間もの軍役は
 あまりにも長いようにDeDeには思われてならないが、
 ギリシャはトルコとの問題を抱えているために、(領土争い)
 お遊びや、おふざけは許されない。

 当人は「男は徴兵制で軍務に服すことによって、本当の男になるんだ」
 と、いたって平気。 むしろ積極的に国防という概念を捉えている。

 そういえば、ヨーロッパの飛行場(つまり国境という意味)で、
 いまだにマシンガンを肩からかけた軍人が見回りをしているのも
 ギリシャ以外あまり知らない(当時のはなし)

 Hilistosのご両親もそんな息子をとても誇らしげに思っていて
 お母さんは何度も彼の頬に顔を寄せるのであった。

 世界中いたるところに人が生き、彼らの普通の暮らしがあって、
 親がいて、子供を愛し、 恋人がいて、未来を想う。
 

 
    マルマラスの海岸にて アレキサンダー君




 ヒェレテ ギリシャよ。  ヒェレテHilistos。

 ギリシャという国はDeDeの中でまた近くなった。

                                 Bohemian DeDe

Bohemian DeDe
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